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ネットのおもちゃが死んだ

いわゆる「性の悦びおじさん」が死んだ。まだあやふやな所はあるものの、Twitter上での流れ、新聞記事、TVニュースの映像を見る限り死んだことはほぼ確定だろう。

 

「性の悦びおじさん」は、3/11の昼過ぎ田園都市線桜新町駅で、いつものように卑猥な発言を繰り返していたところ正義感あふれるサラリーマンたちに組み敷かれ身動きも出来ず死んだのだ。

 

この「性の悦びおじさん」についてここでは詳しくは話さない。彼はどこにでもいる「ちょっと頭のおかしい人」でありおそらく何かしらの精神的な病気を患っている人だ。ただ、彼が都内でよく見かける「頭のおかしい人」と違ったのは、彼がいわゆる「ネットのおもちゃ」だった事だ。

約半年前にニコ動にあげられら電車内で性について妬み喚く彼の動画はあっという間に拡散され方々で笑いの種となった。遭遇者が次々に画像を上げる祭り状態。直近ではテレビ局まで取材きていて、笑われながらインタビューに答える性の悦びおじさんの菅とを僕も見た事がある。

 

たぶん、この騒ぎが彼を殺したのだろう。

ネットに取り上げられる事がなければ、少なくとも「知らない人がスマホ片手に寄ってくる」なんていう、非日常の世界におじさんは放り込まれなかった。最近のおじさんは盗撮に対して敏感で時に「きちがい」のように怒りを吐き出す事もあったという。彼のただでさえ不安定な精神は、衆人監視の中で育てられ、いつの間にか人に危害を加える領域まで到達してしまったのだ。

 

「そんなつもりはなかった」

多分皆はそういうけれど世の中の不幸の大半は「そんなつもりはなかった」の積み重ねのはずで、あえて「晒し騒いだ」責任は重い。

 

ただ、僕はこの死亡事件についてどう考えるべきか今ひとつよく定まらない。

「病気の個人を盗撮して晒し上げるなんて日本は後進国のようだ」なんて憤る人もいるけれど、その考え方はなんとなく、対極にある「ガイジは構わないに限る!」的な思考と殆ど一緒のような気がして好きになれない。

 

一つはっきりしているのは僕がこの件について悲しいと感じている事だけだ。

 

僕は、性の悦びおじさん程度の異常性ならみんな大なり小なり抱えていると思っていて、その言動の根幹部分には共感もしていただけに、結局はおじさんの異常性が受け入れられず「まっとうな人間」によって最悪の形で処理をされてしまった事に対して悲しさや憤りを感じている。

 

ネット上にもおじさんを偲ぶ声は多い。

「そんなに悪いやつじゃなかったろうが!」と。

騒いでおいて無責任な話だけれど、これもまた異常な人々の本音で、感情の大元は僕と近いのかもしれない。

おじさんはあらゆる意味で「面白い人」だったし、でも一方で「精神を患った人」でもあった。

 

「晒し」でも「封殺」でもなくもう少しいい関係を性の悦びおじさんと築く方法はなかったのか?

そんな事を今僕は考えている。